下関・門司で考えるアジア・世界との繋がり
下関・門司へ赴く
秋は、学会の研究大会が集中する時期で、それらが週末に開催されるため、週ごとにどこかに行っていることが多い季節です。前に配信したNLでも京都への学会出張の話を書きました。また今年はあとは名古屋などへの出張もあります。そうした予定に加え、今年は私的な用事での遠出もあり、週末は年末に向けて結構埋まってしまっています。そして先週は親族関係の用事で、母を連れて福岡県と山口県を、関門海峡を行き来する旅をしておりました。
こなさねばならない用事を済ませた後、下関の海沿いをしばらく散策しました。その後、船で関門海峡を渡って門司港に赴きました。下関から門司港まで電車で行くよりずっと早く、海上交通の便利さを実感しました。JR門司港駅にほど近い岸に船着き場はあります。その界隈は「門司港レトロ」として、戦前にここが港として特に栄えた時代のレンガ造りの建物が並ぶ観光地として整備されています。その一角の宿に一泊し、このあたりもゆっくり散策しました。
私は海を眺めるのが大好きで、下関と門司港の旅は、それぞれから対岸を眺めつつ、散策した場所によっては瀬戸内海を臨むこともできました。遠出といえば仕事がらみの出張が多い中、久しぶりの完全な私用の自由な旅で、天気にも恵まれ、いい気分転換になりました。母もとても喜んでくれて、言って良かったと思っています。
門司港では、朝早く起きて、海沿いをジョギングし、関門海峡の袂を超え、観光トロッコ電車の終着駅である関門海峡めかり駅の地点まで行ってみました。瀬戸内海を見渡せて、空気は綺麗で空は青く、本当に良い時間でした...が、友人があとで、ちょうどこの日に本州から九州へ、関門海峡を泳いで渡る熊が目撃されたという報道があったことを教えてくれました。ほんとかどうか真偽の程はわかりませんが、熊に出会わなくて良かったです。
関門海峡めかり駅付近の海辺の散策路から瀬戸内海を臨む
世界と日本を繋ぐ結節点としての発展
下関も門司も、かつて世界と日本を繋ぐ結節点として栄えた町です。門司港レトロにある関門海峡ミュージアムで、栄えていた頃の門司や門司港の写真を拝見しましたが、ひとがあふれ、活気がみなぎっている様子が見て取れました。門司は明治中期以降に急速に発展したとのことですが、それは門司港が筑豊の石炭輸出、北九州の鉱工業の原材料輸入や製品輸出港として機能したことにあります。さらに、横浜や神戸・大阪を発着地とする外国航路の寄港する港であったことも、この発展を支えました(中西遼太郎・三木理史・河原典史・天野宏司・山根拓・品田光春・山元貴継「20世紀前半の東アジア海域における海上交通の発達と沿岸地域の動向」2024年秋期学術大会シンポジウム、E-journal GEO 2025 Vol. 20(1))
また、下関も門司も、戦前の日本、すなわち台湾や朝鮮半島をも支配し、実質的には関東州や満州も勢力圏としていた大日本帝国の時代において、帝国領内やそれを超えた領域へと繋がる様々な汽船航路の寄港地として栄えました。