「アジアの中の日本」という今後の日本にとって不可欠な視点
疲れたときにはとにかく寝る
NL、せめて週一のペースで、と考えていましたが、間が空いてしまいました。最大の理由は、急に冷えたことが禍いしたか、先週半ばに体調を崩して一日半ほど寝込んでしまっていたことです。体調には気をつけているつもりだったのですが失敗しました。ちょうど授業にかからないタイミングで休めたのは不幸中の幸いでした。大学教員にとって授業は命ですので。
とにかく寝たいだけ寝て休んだので、充電バッチリ、今はとても元気です。私は疲れると額の真ん中当たりに吹き出物が出ることが多く、今回もそうだったのですが、休んだおかげですっかり消えました。よかったよかった。ただ、いろいろと公私共にしわ寄せもあり、これから大車輪で片付けないと。NL配信もその一つですが。
また、私はこういうときでも食欲は落ちないたち。コロナにかかったときですら食欲だけはあるという...さすがに今回、油濃いものとかはだめでしたが、おなかは空くのでおかゆをベースにきちんと食事も取ってました。これも回復が早かった理由かもですが、体調の悪いときに食欲が落ちないかどうかは体質もあるので無理に食べろとはいえません。ただ寝る!たくさん寝る!は結構万人に通用する回復する処方箋ではと。
アジア政経学会秋期大会にフル参加
とにかく一時的なしわ寄せはあっても週の半ばに休むことを優先したのは、この週末にアジア政経学会という学会の秋期大会があったからです。私はいくつかの学術的な学会に所属していますが、なかでもこの学会には思い入れを持って活動しています。この学会は文字通り、アジア(中国含む北東アジア、東南アジア、南アジア)の政治、経済、国際関係を研究する研究者たちの学会です。そして春期、秋期と年に二度、研究大会を開催します。今回の秋期大会は京都の国際日本文化研究センター(日文研)というところでの開催でした。学会活動は手弁当で、特に大会の時には開催校の関係者が実行委員会としてかなり動かないといけない。今回は日文研の先生方に大変お世話になりました。私は昨年の春期大会が神奈川大学で開催された際実行委員会委員長をやったのですが、いやはや本当に大変で、今回の日文研の先生方の苦労を少しはわかるつもりです。
この日文研というところは京都の市街からはかなり離れたところにあるのですが、今回非常に充実したプログラムを組めたこともあり、多くの会員が集まりました。私は一つ司会を務めた後は部会一つ、共通論題一つに参加し、懇親会、二次会とフルに参加。本当に充実した大会でした。また、日文研の充実した研究環境に感嘆しました。建物や設備もそうですが、圧巻だったのは文献・資料です。日文研の先生方の研究者としての底力を感じました。文献や資料集めは生半可では出来ないので。
「国際日本学」という日本研究の広がり
さて、今回の大会の共通論題のテーマは「国際日本学とアジア研究」でした。共通論題とは、大会参加する方全員に開かれた、その大会のクライマックスとなるセッションです。この共通論題は、私にとって、日本研究が「国際日本学」という広がりをもったものとして発展しつつあることをいろいろ知る良い機会となりました。(実はわが神奈川大学にも国際日本学部があり、多士済々の先生方がそろっております)。学会での細かな議論をストレートに公開をするのは避けますが、「国際日本学」の発展を私がどのように理解したかを少しだけお話しします。
日本のことを研究する研究者は世界中に存在しており、英語圏で日本をフィールド、あるいは事例として研究する方々も多くいらっしゃいます。そして、日本を研究する研究者らの国際的なネットワーキングが進みつつあります。
例えば2015年東アジア日本研究者協議会(EACJS)が発足、韓国、中国、日本、台湾の順で開催地および開催ホストを回して大会を開催し、国境を越えた相互のネットワークを図っているとのこと。ヨーロッパ、北米にも同様のネットワークがあります。こうした動きを基盤として、「国際日本学」といわれる国境横断的な日本研究が形成されつつあるということです。このあたり、熱心に取り組んでおられる方の一人が、最近新書としては驚異的な分厚さと内容の充実度で世をアッと言わせた『内務省』(講談社現代新書、2025年)を執筆した内務省研究会のとりまとめ役を務めておられる慶應義塾大学教授の清水唯一朗氏で、今回の共通論題にも非会員なのですがお招きし、登壇していろいろお話しいただきました。
アジア研究の一部としての日本研究
重要なのは、このように日本研究についての国際的な研究者ネットワークが発展しつつあるのと並行し、海外において、日本研究はアジア研究の一部として位置づけられていることが多いことです。